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多様性とは

こんばんは

オリンピック始まりましたね

時差もあり、中々観る時間がありませんが、SNSで開会式の画像の一部を拝見して衝撃を受けました。

刎ねられた首を持つ婦人

「いや、これまさかのマリーアントワネットのパロディか?いや、オリンピックの開会式で不謹慎すぎて流石にそれはないか」

と自分の連想を否定したものの

どうやら思った通りだったようで、、

平和の祭典と謳うオリンピックで流石にそれはアウトでしょうよ。

そして、別のシーンではキリストの最後の晩餐をパロディーにした演出。

この開会式は多様性を訴えたかったそうですが、

多様性とは「これからの新しい考えや文化のみを受け入れるもの」なのでしょうか?

決してそうではないと思うんですよ。

多様性を謳いながら既存の文化、既存の宗教、自らとは異なる考えを否定していては、それは多様性とは全く逆行した考えなのでは?

キリスト教徒ではない私が観ても少し不愉快になるこの演出を観たキリスト教徒の方々の心中を察するに余りあります。

様々な考えを受け入れるのであれば、まずは自らと異なる考えを受け入れていかないと多様性を受け入れることにはつながらないと思います。

東京オリンピックの開会式も税金の無駄遣いだの、くだらな過ぎるだの酷評されてましたけど、

「誰も傷つけない」という意味では平和の祭典に相応しい開会式だったんじゃないかなとパリ五輪の開会式の一部を観て個人的に思った熱帯夜なのでした。

 

 

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