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妻の予定が変わった理由

昨日の妻との会話です

妻「Aちゃん(妻の大学時代の友人)、明日うちに遊びに来れなくなったって」

私「なんで?」

妻「息子さんが容態悪化して緊急入院になったみたい」

Aさんの息子さんは生まれながらにして腸の難病を患っており

3歳にして手術を繰り返し

幾度となく命の危険に晒されながら

こうしている今も懸命に闘病されています

その会話の中で

その子が過去の闘病している動画を妻に見せてもらいました

ハイハイする背中から出ている一本の点滴の管

その点滴が抜けると命に関わるため

Aさんが後ろから点滴棒を押して追いかけている動画でした

想像を絶するような闘病の日々だと思いました

普通の子にとっては自由なハイハイも点滴棒が近くにないと

命に関わるわけです

でも、その子は今も懸命に小さな体で生きています

我々の子どもがNICU入院している時にも

近くのベッドの子が急変し

次の日にはその子のベッドは無人になっていたと妻が話していたこともありました

そういう小さな生きたくても死と隣り合わせの命があると

子どもが出来てからはよりそれを身近に感じるようになりました

そういう時にいつも脳裏をよぎるのは

「死にたい」

と訴えて当院に通院している患者さんのことです

精神科医の基本理念の一つが共感です

でも正直

「死にたい」

という気持ちには共感できません

「生きたい」と思う人間がこの世にいて

それでも「生きれない」人間がこの世にいて

「生きれる」のに

「死にたい」と自ら思う人間がこの世にいる

残酷な世の中です

「生きたい」と思う人間を「生かす」のは困難で尊いことです

そして

それと同じぐらい

「死にたい」と思う人間を「生かす」のも困難で尊いことです

「死にたい」という気持ちに共感はできないけれど

「死にたい」と思う気持ちに寄り添うことはできる

そして「死なせないように」救うこともできる

「死にたい」を「生きたい」に変えるのは

精神科医としても胆力がいります、エネルギーを費やします

「希死念慮」「自傷行為」この2つのワードを持つ患者さんを断るクリニックが少なくないのも事実です

でも

「死にたい」を「生きたい」に変えるのは

精神科医としての重要な役割であり尊いことだと私は考えています

こういうことを言うと

「なら私の命、その子にあげたいわ」

と言う患者さんもいるでしょう

「欲しいよ」

そら

「生きたい」命を救いたい親御さんや家族は

たくさんいるよ

そして

もらえるもんなら

何億払ってでも

その「死にたい」命を欲しいよ

でもね

そんなことはできないんですよ

その年まで健康な体で育ったあなた達は

それだけでも

「生きたい」命より

貴重な生命力と健康な体を授かったんですよ

この世に

「死にたい」と言う感情がなければどれだけ良かったか

だってそうでしょう

自然界で自ら自殺するのは人間ぐらいなもんですよ

ほんと余計な感情を人間は持ってしまったものです

如何せん当院は医師一人のマンパワーでやっているもので

「そろそろ(新規の)希死念慮がある患者さんは断ったほうがいいかもしれないな」

と最近スタッフと話したこともありました

そして正直

救えなかった「死にたい」命もあります

でも

命の尊さに触れるたびに思います

明日からまた

「死にたい」を「生きたい」に変えないとな、と

私のエネルギーが続く限り少しでも多くの「死にたい」命のストッパーになれるように

頑張ります

だからみんなも生きてください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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